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Miku Nagano 永野未来 ブログ(公式)

絵画制作しています。推薦環境はPC。I am making paintings. Recommended environment is PC.

メモ

メモ。
何か、響かない。違和感がある。もっと大きすぎて小さすぎるものに興味がある。宇宙のような原子のような。語彙力が無くて抽象的で何て言ったらいいかわからない。愛って言うと軽いし慈悲と言うと重い。真理というと胡散臭い。今の自分では限界すぎる違和感。一番近いものが「光」かもしれないと今日気づいた。

本音を言うと人が離れそうで怖いけど感覚的なこと。

Twitterのアートは、なんか、金臭い。

高知のアートは、なんか、誤魔化されて終わってしまう。

自分は本当は何がしたいんだろう。

違和感。でも、まだ時期ではない。
何かをひたすら続けてみないとわからない。
これは外側ではなく内側からくるものだと思う。なんだろう。今は保留。
おやすみなさい。

題材探し

いつの間にやら32歳になりました。
色んな方々からお祝いされて嬉しかったです。

今日は新しい題材を探しに高知県の安居渓谷に行ってました。
コロナだから県内で済ませよう…としたら県外ナンバーばかりで、意味あったのだろうかと疑問に思いつつマスクしつつ。
坂や道が中々厳しい場所でしたが、水辺ではいつものことです。

安居渓谷には一度行ったことあり、仁淀ブルーの写真家さんでおなじみの高橋宣之さんに偶然お会いしたことがあって「絵を描いてます」と言うと「是非仁淀ブルーを広めてください」と言ってたのに全然やってなかったと気づき、思い立って今回行きました。
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これは全部ボツ写真なのですが、今は大体こんなところかということが伝わればと思います。
太陽の周りに虹が見えるのは「ハロ」という現象で凄く珍しいんだそうです。

行けて良かったです。100号描くぞー

日本の絵を描くにあたって、神仏と関わらない訳にも…

日本の風景画を描くにあたって、風景と出合うとそこにはどうしてもその地に仏が纏わっていたり神道が纏わっていたりする。
そうするとどうしてもそのための勉強は避けることができないわけで、最近は神道に纏わる話の本も読んだりするが、神々が多すぎてややこしい。

とりあえず入り始めということで山水治夫さんのスピリチュアルノンフィクションを読むことに。読んでいてよかったら「オススメ本など」で紹介したい。
彼は音楽家だが、音楽をやっているうちに瀬織津姫に興味を持ち、全国や世界各地を周って旅をしているようだ。
私も空海の影響が強くて絵を描いているところがあるので、どことなくそういう雰囲気は共通しているように感じた。
また、男性のエッセイ本というのは新鮮な感じがして今のところ面白い。二冊買ったうちの一冊を読んでいるところです。

私の家(といっても転勤族だったので家という家が無かったので父方の祖母の家になるが)には空海が存在する仏壇と同時に神棚もあったので、山水さんほどのめり込む必要はないかもしれないが勉強しないわけにはいかなくなってきたと思っています。

特に県展で「轟の滝」を描いていたときにも、そこには神社があり神様が祀られていたのを覚えている(当時はそういうことに興味がなくて、ただ神秘的だと思っただけだったので、何の神様だったか忘れたけど…)。
今描いている風景画の近辺にも小さい祠やお地蔵さんがあったりしたので、やはり本当に美しい風景には昔の人も感動していたのかもしれないと思う。

絵には技術が先なのか精神的側面が先なのか最近わからなくなったりしている。
いや、両方が同じレベルで育っていくのが大切なのではないだろうか?
技術だけの絵は偉そうなことを言うと、どこか薄っぺらさを感じる。
勿論技術も大事だけれども……。

色彩検定もそうだけれども、様々なことを学びながらこれからも絵画制作に専念します。

絵を描くにあたってのメモ

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傷ついている自分を認めたくない
自分はそんなに弱い人間だと思いたくない
まだ描ける、そう思いたい

でも実際に動けない
休まないといけないのに休めない
休みになってない

どれだけ傷ついているかという蓋を開けるとパンドラの箱のようにどろっとした気持ちがたくさん出てくる。
今までの私は「怒り」がモチベーションだった。
もうそんなの辞めたい。
切り替えて次のステージに行く準備をしないと。
でないと絵も自分も成長しない。

吐き出すことで見つかる本質がある

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上はツイッターでのメモです。
私は画家になりたくて画家になったわけじゃなくて、恨みや怒りで仕方なく画家になったところがありました。
常にそれが違和感として残っていましたが、怒り任せで続けていました。
でも、怒りをエネルギーにして描く限界が来て現在スランプ中です。
(忙しい時期じゃなくてタイミング的には良かったのですが汗)

趣味で絵をやってた頃はあんなに純粋にやってたのに、画家として活動していくとドンドン荒む自分に違和感をずっと持ってました。
「傷ついてるから」っていうことを、怒りが強すぎて今の今まで見えてきませんでした。
私より年下の人が頑張って「画家になりたいです」と言ってたり、「画家として誇りを持っている」人を見ると、私の立場って違和感があるな…みんななんであんなに真剣なんだろう…と考えたりもしたものです。

技術や仕事が増えるにつれ、違和感はどんどん増してとうとう爆発しました。
「画家として清らかでいたい自分」を覆い隠していたような気持ちです。

癒される絵を描くために、まず自分が癒されなくては。
癒されるための方法は割と知っているので、ちょっとずつ慣らしていくしかないですね。
生まれ変わりたいものです。

息抜きに小さい絵

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勉強の息抜きに小さい絵を描いてます。
花の絵は小さいキャンバスでも絵になりますね。

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破れたキャンバスは見様見真似で応急処置をしました。
大丈夫かな…。

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キナクドリンオペラ。良い色です。