日本の風景画を描くにあたって、風景と出合うとそこにはどうしてもその地に仏が纏わっていたり神道が纏わっていたりする。
そうするとどうしてもそのための勉強は避けることができないわけで、最近は神道に纏わる話の本も読んだりするが、神々が多すぎてややこしい。
とりあえず入り始めということで山水治夫さんのスピリチュアルノンフィクションを読むことに。読んでいてよかったら「オススメ本など」で紹介したい。
彼は音楽家だが、音楽をやっているうちに瀬織津姫に興味を持ち、全国や世界各地を周って旅をしているようだ。
私も空海の影響が強くて絵を描いているところがあるので、どことなくそういう雰囲気は共通しているように感じた。
また、男性のエッセイ本というのは新鮮な感じがして今のところ面白い。二冊買ったうちの一冊を読んでいるところです。
私の家(といっても転勤族だったので家という家が無かったので父方の祖母の家になるが)には空海が存在する仏壇と同時に神棚もあったので、山水さんほどのめり込む必要はないかもしれないが勉強しないわけにはいかなくなってきたと思っています。
特に県展で「轟の滝」を描いていたときにも、そこには神社があり神様が祀られていたのを覚えている(当時はそういうことに興味がなくて、ただ神秘的だと思っただけだったので、何の神様だったか忘れたけど…)。
今描いている風景画の近辺にも小さい祠やお地蔵さんがあったりしたので、やはり本当に美しい風景には昔の人も感動していたのかもしれないと思う。
絵には技術が先なのか精神的側面が先なのか最近わからなくなったりしている。
いや、両方が同じレベルで育っていくのが大切なのではないだろうか?
技術だけの絵は偉そうなことを言うと、どこか薄っぺらさを感じる。
勿論技術も大事だけれども……。
色彩検定もそうだけれども、様々なことを学びながらこれからも絵画制作に専念します。
絵を描くにあたってのメモ

傷ついている自分を認めたくない
自分はそんなに弱い人間だと思いたくない
まだ描ける、そう思いたい
でも実際に動けない
休まないといけないのに休めない
休みになってない
どれだけ傷ついているかという蓋を開けるとパンドラの箱のようにどろっとした気持ちがたくさん出てくる。
今までの私は「怒り」がモチベーションだった。
もうそんなの辞めたい。
切り替えて次のステージに行く準備をしないと。
でないと絵も自分も成長しない。
吐き出すことで見つかる本質がある
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上はツイッターでのメモです。
私は画家になりたくて画家になったわけじゃなくて、恨みや怒りで仕方なく画家になったところがありました。
常にそれが違和感として残っていましたが、怒り任せで続けていました。
でも、怒りをエネルギーにして描く限界が来て現在スランプ中です。
(忙しい時期じゃなくてタイミング的には良かったのですが汗)
趣味で絵をやってた頃はあんなに純粋にやってたのに、画家として活動していくとドンドン荒む自分に違和感をずっと持ってました。
「傷ついてるから」っていうことを、怒りが強すぎて今の今まで見えてきませんでした。
私より年下の人が頑張って「画家になりたいです」と言ってたり、「画家として誇りを持っている」人を見ると、私の立場って違和感があるな…みんななんであんなに真剣なんだろう…と考えたりもしたものです。
技術や仕事が増えるにつれ、違和感はどんどん増してとうとう爆発しました。
「画家として清らかでいたい自分」を覆い隠していたような気持ちです。
癒される絵を描くために、まず自分が癒されなくては。
癒されるための方法は割と知っているので、ちょっとずつ慣らしていくしかないですね。
生まれ変わりたいものです。
息抜きに小さい絵
(私が)絵を描く上での成道ってなんだろう?
寝ようとしたら途中で自分の中で絵のことを掘り下げないとなと思うことに気が付いたのでメモ書き。
Twitterを主に更新しているのでつい雑記ばかりになってしまって振り返りが少ないなと思うこの頃ですが、
二紀・独立の高知出品者たちと語った言葉を思い返したりしていくうちに、自分の絵について自分で考えたくなりました。
成道…とは、悟りを開くことなので、そんな「おおごと」を今の自分が決める必要はないと思いつつ。
一つ「私って意外とポジティブな人間なんだな」と気が付いて。
「絵で人を癒したい」と思ったのは、20代は死にたくて絵を描いていたんですが、
そんな自分が自分で絵を描くことで癒され随分と元気になり、他の人も喜ばせ期待させられる人間の一人になれたことがとても大きいです。
その上「絵があることは一つの救いなのではないか」ということに気が付き、もっと多くの人に広めたいと思う気持ち。
当たり前だとか大げさに思う人もいるかもしれませんが、それは私の中では一つの悟りに近いのです。
10代はとりあえずよくわからないけど感動したから描いていた。
20代は死にたさから救われるために何とか力を振り絞って描いていた。
30代からは、私の成道から絵を描き続けたいです。
そしたら、きっとこれからも何とかしぶとく生き続けていけるでしょう。
Twitterを主に更新しているのでつい雑記ばかりになってしまって振り返りが少ないなと思うこの頃ですが、
二紀・独立の高知出品者たちと語った言葉を思い返したりしていくうちに、自分の絵について自分で考えたくなりました。
成道…とは、悟りを開くことなので、そんな「おおごと」を今の自分が決める必要はないと思いつつ。
一つ「私って意外とポジティブな人間なんだな」と気が付いて。
「絵で人を癒したい」と思ったのは、20代は死にたくて絵を描いていたんですが、
そんな自分が自分で絵を描くことで癒され随分と元気になり、他の人も喜ばせ期待させられる人間の一人になれたことがとても大きいです。
その上「絵があることは一つの救いなのではないか」ということに気が付き、もっと多くの人に広めたいと思う気持ち。
当たり前だとか大げさに思う人もいるかもしれませんが、それは私の中では一つの悟りに近いのです。
10代はとりあえずよくわからないけど感動したから描いていた。
20代は死にたさから救われるために何とか力を振り絞って描いていた。
30代からは、私の成道から絵を描き続けたいです。
そしたら、きっとこれからも何とかしぶとく生き続けていけるでしょう。
状況変化


家に引きこもるために、ちょこちょこ鉛筆画を描いています。
私は元々高知県展の県展作家になって、バイトしながら県展に出せたらいいやぐらいの気持ちでいたのですが、
段々周囲の人たちと関わっていく中で巻き込まれたりしながら県外の展示も少しずつしているところです。
いずれ高知も旅立たねばならなくなるだろうな…と思うとちょっと寂しいですが、まあ暫くは高知で活躍してからでないと県外出ても意味ないだろうと思っているので、まずは高知で力を付けていきます。
あとお金も貯めないといけないんですよね。この辺で親と衝突するのですが(親がお金のことに関して物凄く厳しい人なので)、
もうこっちも喚くほど辛い状態にもなったりするぐらいしんどいですが、何とかお金を貯めていく決意はできたので、あとは実力をつけて神頼みと言った感じです。
最近は大阪での展示が増えてきてるのかな。高知、大阪。と、ちょっとずつ慣れていきたいです。
コロナの影響が心配ですが、7月に大阪で変わった感じの桜の展示があるので楽しみにしてます。
個展も延期ということなので、できないわけじゃないので、ちょっとずつ準備していきますね。