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Miku Nagano 永野未来 ブログ(公式)

絵画制作しています。推薦環境はPC。I am making paintings. Recommended environment is PC.

虹色

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色彩検定の発表がもうすぐになりました。
受かったら二次勉強、落ちたら来年絵を描きながらお勉強ということに。

来年やりたいことは、青いイメージの脱却。
好きな色で得意な色ではありますが、そればかり続けているとマンネリと行き詰まりが起こるため。
それなりに勉強したので、様々な色を使ってみたい。
今はそれだけですね。

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不合格でした。
来年また挑みます。

最近の出来事

色彩検定一級一次試験を受けてきました。
結果はまだですが回答がサイトに出てたので添削してみたら、
合格ライン足りてないんじゃないかと凹んでますが、
それでもまだ結果発表が出てないので、げっそりしながら二次対策を進めています。
今年受からなかったら来年再挑戦する予定です。

来年といいますか、今年から高知市展の絵画部門の専門委員になるため打ち合わせが12月もあります。
高知市展は毎年5~6月頃開催しているのですが、その準備などをするのではないかと思います。
高知在住の方は是非、高知市展について調べてみてください。
また日が近づいたらお知らせ致します。

今年後半は、来年の活動のために準備が忙しいという感じですかね。
助走をつける段階といいますか。スランプにも陥っていたので、色々勉強して視野が広がりよかったなと思います。
今は早く来年になって絵が描けると良いなーという気持ちです。
スランプ克服法は、魔女の宅急便の画家のお姉さんの話やイチローの名言など見て調べて色々試していました。笑

助け合い

ちょっと家の事情で助け合わないとどうにもならない出来事が増えてきたので、「助け合い」とは何かと考えている状態です。
まあそのためにも試験の勉強はしないとどうにもならないので苦手なファッションのところからやり直してます。
ツイッターどころじゃないのでツイッターも二次試験終わるまで停止します。

お遍路を続けている身として、高野山の説法をYoutubeで聞いていました。
ふと思ったのですが、「お大師様が助けてくださる」という言葉が画家として気になりました。
画家が誰かを妄信するのは違うのではないかと。
画家は精神的に自立して「お大師様」のように誰かを感動させるのが仕事ではないか。
この「お大師様によって助けてもらう」と、「お大師様のような人間になる」には大きな違いがあるように思いました。
涅槃の地の香川を超えて、高野山へ行けるようになるまでに、自分もしっかりした大人になりたいです。

弘法大師空海の好きな言葉を集めてみました(戒めも含めて)。
・衆生の心清浄なるときはすなわち仏を見、もし心不浄なるときはすなわち仏を見ず。
・われ諸法を観るに、例えば幻のごとし。すべて是れ衆縁の合成するところなり。
・凡夫は善悪に盲いて、因果有ることを信ぜず。ただし眼前の利のみを見る、何ぞ地獄の火を知らん。
・邪見を発起すべからず、善根を断ずるがゆえに。
・昇悟の機、仰がずんばあるべからず。

以上。色彩検定二次試験終了後まで一先ずお待ちくださいませ。


追記
私事ですが、母方の祖母が祖父とそっくりな男性と再婚する夢をこの前みましたね。
父がお金の話で祖母に対してかなり激怒していました。夢の中で。
まあ…似たような正夢は置きましたね。再婚じゃないですが。
亡くなった祖父があの世でどう思っているか気になるところです。

…まあ、その相手が弟というのが何とも言えないですが笑
夢って不思議です。弟と祖母が楽しく過ごせて何よりです。

おもてなしの心とは

これまた絵の話ではないんですが…。
ちょっとネットで舞妓さんになる方の話や悩みを聞いていました。
舞妓さんは京都で見たことあるので(とても印象的な美しさでしたよ)、どうやったらなるんだろうと検索かけていました。
舞妓さんになる方の決意は固いものです。

舞妓さんは中学卒業後から大人になるまでは「舞妓さん」として修業して、
そのあと「芸者さん」になるようですね。
言わば、芸者さんになるための修行として舞妓さんになるようなものらしいです。

若き日から厳しい修行をしながら華やかな舞台に出るのは、どの道でも通じるところはあるのですが、
普通の人よりははるかに茨の道なのだなと。

最近の日本文化はどこまで「おもてなし」が出きる人がいるのだろうと気になるところです。
自分も舞妓さんや芸者さんの魂を少しは見習いたいなと反省しています。
できることから、こつこつと。「はんなり」とですね。

夏休みと子どもたち

絵の話じゃないんですが。

夏休みを少しでも楽しめた子どもってどのぐらいいるのだろうと、ふと考えました。
私は宿題にひぃひぃしてたけど、親や仲間のお陰で楽しく過ごせたと思います。
私の親も、きっと祖父母がしっかり者だったので楽しかった思い出ってあるんだろうなと感じます。
祖父母、曾祖父母世代は…戦争中だったので、祖母の話を聞いても戦時中らしかったのでそれどころではなかったように思います。
それに祖母は父も居なくて肺炎に近い病気だったので、青春時代は壮絶だったと思います。

そんな祖母が時々言うんですよね。
「戦時中はみんなに助けてもらえた。私は幸せ者だった。」

祖母の性格もあるでしょうが、祖母は尊敬しています。
それに比べて自分が大人になってから、我々大人が子ども化しているように感じたりもします。
(全員がってわけじゃないですが)

何かに勝つとか負けるとか、評価されるとかされないとか、そんなことで悩んでる暇なんて本当はないのではないか。
自分に与えられた課題にしっかり向き合うべきではないか。
身体も労るべきでないか。流行に踊らされてないか。
人として大切なものを見落としてないか。
自分が幸せ者であるにも関わらず不幸に酔ってないか。

吉田拓郎の「夏休み」とさだまさしの「防人の詩」を聴いてるんですが、夏休みを楽しめた幸せな子どもはどのぐらいいるんだろうか。